最後の晩餐にはまだ早い


没後50年 河井寛次郎展―過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今―

 今回は食レポートではなく、先日訪れた、新橋駅近くのパナソニック汐留ミュージアムで開催中の、「没後50年 河井寛次郎展―過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今―」を紹介したいと思う。
 河井寛次郎(1890~1966)は、近代日本陶芸界を代表する作家の一人。島根県安来生れで、実家は大工だったが、少年時に地場産業の窯業に興味を持ち、東京高等工業学校窯業科に入学、此処でのちの人間国宝濱田庄司と出会い生涯の友人となる。卒業後は京都市立陶磁器試験場で中国や朝鮮の陶磁器研究を行いながら、制作を開始する。
 その後濱田の紹介で、民芸運動の提唱者である柳宗悦と会い思想に共鳴、「用の美」に基づく生活陶器を制作、関西を中心に評価が高まる。1937年京都五条坂に自宅兼作業場を自ら設計し、以降この場所で創作を続ける。
 戦中戦後は陶芸材料の不足から木彫や詩作にも手を染める、その後再開した陶磁器は戦前とは趣を変え、大胆な造形と彩色により新境地に至る。
 文化勲章、人間国宝(重要無形文化財保持者)、芸術院会員等の推薦は全て辞退し、最後まで無位無冠の陶工としての生涯を送った。
 今回の展示は、河井寛次郎記念館所蔵品、山口大学所蔵の初公開品に加え、パナソニック創業者松下幸之助のコレクション等が公開されている。今年は没後50年にあたり、そして私が行った8月26日は、奇しくも河井の誕生日だった。

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 汐留ミュージアムは2回目、パナソニック東京汐留ビルの4階で、総合ビル内の一角。出光美術館みたいに企業スペースと隔離していないので、独特の雰囲気がある。1階がリビング関連のショールームで、そちらも見て下さいと云う狙いもあるようだ(笑)。
 入口受付で入館料を払うが、館内展示品の一部が撮影可であるのを知る、ちょうどコンデジカメラを持っていたので、数点撮影させてもらった、最近他の美術館でも増えているが、いい事だと思う。以下特に印象に残った作品を紹介したい。

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・白地草花絵扁壺 昭和14年作
 戦前の到達点とも云える、河井の代表作品。ミラノ・トリエンーレ国際工芸展のグランプリを受賞、それも自らが参加したのではなく、友人が勝手に出展したと伝わる。
 受賞時には取材に応えて「私はモノを競うことに興味を持たないのです。仮に貰えるとしたら、それはモノが貰うので、私個人が貰うものではないと思うのです。」と、実に河井らしい言葉を残している。

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・呉須刷毛目大壺 昭和14年頃(左)
・三色打薬双頭扁壺 昭和36年頃(右)
 戦前と晩年の制作変遷を対峙する意味で、この2点を並べたのだと思う、左は「白地草花絵扁壺」と同年なので、迷いのない堂々たる一品。
 右はこの展覧会のポスターにも使われているが、河井が晩年辿り着いた、奔放な造形と彩色による表現。

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・練上鉢 昭和31年作
 「用の美」から脱却し、独特の造形や彩色に集中する時期のもの、現代抽象美術とも通じるオーラがある。

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・呉須泥刷毛目扁壺 昭和30年頃
 もし「今回の全作品中から一点好きな物をあげる」と云われたら、私ならこれか。床の間(我が家には無いが)にさりげなく置きたい(笑)。

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・白地三色打薬扁壺 昭和32年頃
 晩年の境地を表現する作品、岡本太郎の絵画にも通じる、爆発的な美を表現している。

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・木彫像 昭和29年頃
 最初は椅子かな?と思ったが違った、用の美から離れ実用でないものを作りながら、凡作に陥らないのが河井の真骨頂、会場内には数点木彫が展示されていた。

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・言葉「いのちの窓」より(複製) 昭和23年頃
 河井のもう一つの顔である詩作、格言も展示されている、会場ではTVドラマ「アンナチュラル」に出演していた、井浦新氏の朗読音声が流れていた。

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 晩年の河井寛次郎、「いい料理人は、いい顔をしている」は私の持論だが(笑)、「いい表現者は、いい顔をしている」と言い換えても通じると思う、少なくとも昭和世代まではそうだった。

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 ミュージアムショップで見つけて、思わず買ってしまったのが「猫」、木彫作品の意匠を金属製のカードスタンドにしている、自宅で飼っていた猫らしいが、巨匠が彫るとただの猫ではない表情になる(笑)。
 数はそう多くないが、事前に予想していたより充実した展覧会だった、特に陶芸好きな人にお勧めしたい、尚9月16日(日)迄の会期で水曜休館。
 観に行く時はWEBページ上の100円割引券があるのでお忘れなく(笑)。
https://panasonic.co.jp/es/museum/discount/


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根津美術館「井戸茶碗―戦国武将が憧れたうつわ」展

 南青山の根津美術館で開催中の、「井戸茶碗―戦国武将が憧れたうつわ」展を観に行った。

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 井戸茶碗とは、主に16世紀に朝鮮半島南部で作られた陶製の器で、元は民衆の日常雑器と推測されるが、日本に渡来後に茶人達が抹茶碗として転用、茶の世界では「一井戸、二楽、三唐津」とまで言われる程に珍重された、外に向かって開いた男性的で豪快な形が特徴で、荒い陶土を使って無造作に轆轤を回し成形した作為の無さが感じられる、その他には、
・色は枇杷色と呼ばれるベージュ系かグレー系
・胴部の内外に轆轤あとが残る
・高台が高く、竹の節状になっている
・高台部分の釉薬が縮れ細かい穴が現れている、茶人はこれを「梅花皮(かいらぎ)」と呼び珍重した
 以上の特徴があるが、「竹の節高台」と「梅花皮」については全てある訳ではなく、出ていない類型もある。

 「井戸茶碗」の呼び名については諸説あるが、茶を飲むため茶碗の中を覗き込むと、外見より深く広く感じ、まるで井戸の如くに見えるから、茶人がそう呼んだと云う説が有力らしい。
 室町から桃山時代にかけて日本に渡来し、千利休一門の茶人達が好んで茶事に用いた事から知られる事になる、特に戦国武将達に人気があった、日々戦いに明け暮れた彼等はこの茶碗の詫びた風情、天に向かって開いた形状、孤高な姿に己を重ね合わせたのかも知れない。中でも織田信長は戦勝の褒美として、部下の功労者にこれらの茶碗を与えた、拝領した者は銘を与え家宝として子孫に伝えていく、こうして名碗は現在に伝世する事になる。

 今回の展覧会は、日本各地で伝世され「名碗」となった74点を一堂に展示したもので、前評判も高く実際に見て圧巻だった。井戸茶碗は大きさや色から「大井戸」「小井戸」「青井戸」に分類されるが、眺めていると大井戸は戦国武将、小井戸はその跡継ぎの子、青井戸が奥方達みたいで、これらがまるで「清州会議」の様に、一つの城に大集合した錯覚を覚えた(笑)。
 この中から代表的な名碗を紹介したい、

     131203-2喜左衛門
・大井戸茶碗 銘「喜左衛門」 大徳寺蔵
 井戸茶碗の代名詞にもなっている有名な碗、今回の展示中唯一の「国宝」、口造りは歪んで全体的にも薄汚れているが(笑)、それだからこそ桃山の茶人達の美意識に訴えた、唐物(中国製)茶碗の左右対称の均衡美に対し、左右非対称で不完全な茶碗に美を見出したのだから「価値観の逆転」だ、これを戦国の「下剋上」と結びつけるのも間違いでは無さそう、この茶碗を所有した者は不幸になると云う、オカルト的な謂われがあるのも名品の証拠(笑)。

     131203-3細川
・大井戸茶碗 銘「細川」 畠山記念館蔵
 もし信長公から、全展示品から「一つだけ好きな物を与える」と言われたら、私ならこれか(笑)、男性的な「喜左衛門」に対し、女性的な柔らかい外観と内側の繊細な造りで、見飽きる事が無い。江戸時代の大茶人である松平不味の所有物だった事もあり、愛情を注がれて「育った茶碗」だと云うのがよく判る。

      131203-4有楽
・大井戸茶碗 銘「有楽」 東京国立博物館蔵
 前二碗に比べると地味な外観だが、かつての所有者は信長の実弟である織田有楽斎、時代漫画「へうげもの」の中で名脇役として登場する人物だ(笑)、漫画にも描かれている様に、兄とは対照的な生き方をして、相当なエピキュリアンだったみたいだが、文化人として徳川政権になっても無事生き延びた、江戸城数寄屋橋門近くに屋敷があった事から、現在の「有楽町」はこの人の名前に由来する。

     131203-5柴田
・青井戸茶碗 銘「柴田」 根津美術館蔵
 伝承由来からすれば、この碗に優るものはない、織田信長からの褒賞として家臣の柴田勝家が拝領したとされる。小振りな造りながら姿が大変美しく、所々に青味を帯びた色合いから「青井戸」と呼ばれる茶碗、無骨武将と伝えられる柴田勝家のイメージに合わない気もするが(笑)、所有者と違って乱世を生き延び、今に伝わって歴史の証人になった、この名碗を根津美術館が所有していた事から、今回の展覧会が開催出来たのだと思う。

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 私が行ったのは平日午後だったが結構混んでいた、これだけの量と質の井戸茶碗を、一堂に集める展覧会は暫く無いだろうと思う、器好きで歴史好きの方には是非お勧めしたい。(2013年12月15日まで、東京・青山:根津美術館で開催)
 ※茶碗の画像はWEB上から引用しました。



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札幌芸術の森(2013札幌食べ続け⑥)

 これが最後の札幌ネタになる(笑)。
 札幌食べ続けの間に、唯一「観光」的な事をしたのが、札幌市内南部にある「札幌芸術の森」へ行った事で、此処は以前から訪れてみたかったアートスポットだ。実は去年10月にも行くつもりでいたのだが、当日WEB上でアクセスを調べたら、「熊の出現により休館します」との文字でガッカリしたもの、2年越しでようやく訪れる事が出来た。
 場所は市営地下鉄南北線真駒内駅で降り、駅前から発着するバスで約15分、料金は280円なのだが、地下鉄との「乗り継ぎ割引」で安くなる、ただこのバスは都バスと違い料金は降車時払い、支払時には釣銭が出ない運賃箱なので要注意、私は知らずに料金箱に100円硬貨をそのまま入れてしまい、運転手とちょっとしたトラブルになった(笑)。

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 「芸術の森」内の敷地は広大なので、まずは入口から近い「芸術の森美術館」から観る事にした、現在「高橋コレクション・マインドフルネス」展が開催されている。東京在住の精神科医高橋龍太郎氏の個人コレクション展示で、現代美術のコレクターとして知られる氏のコレクションは壮観の一言、僅か15年ほどの期間に約2,000点を収集したそうで、その資力もさることながら、集めたエネルギー自体大変なものだ、今回はこの一部を公開している、草間彌生、奈良美智、村上隆といった日本人作家中心で、全て名作ばかりと云う訳ではないが、現代美術に興味がある人は見ておくべきだと思う。

 続いて行ったのが「工芸館」で、ここで道内作家の陶芸・金工・木工作品や、2階の工房で制作している織物類の販売をしている、北海道在住の陶芸家工藤和彦の片口鉢に惹かれたのだが、東京まで持って帰る面倒を考え断念、花瓶置きになる小さな織物をお土産に買った。
 この後に階段を昇って行ったのが、観るのを一番楽しみにしていた「野外美術館」で、7.5ヘクタールという広い敷地の自然の中に、国内外の作家64人の野外作品73点を配置し、自然の中で人とアートが触れ合える場にしている、美術関係者から「此処の野外彫刻は見る価値がある」と以前から聞いていたが、その言葉どおりだった、一応全作品を観て回ったが、特に印象に残ったものを上げておく。

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・入口近くで迎えてくれるのは、朝倉響子「ふたり」

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・東京でこれに似た住居を見た?新妻實「目の城 ’季季90」

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・アザラシの親子?(笑)、中井延也「月下」

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・市内から見える宮の森ジャンプ台を連想(笑)、澄川喜一「そりのあるかたち」

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・子供たちに一番人気の、福田繁雄「椅子になって休もう」

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・天使の羽根みたいな、小清水漸「石翔ぶ」

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・己の姿を見ているような(笑)、細川宗英「ユカタンの女」

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・自然の中で異質な世界を表現する、内田晴之「異・空間」

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・韓国出身で世界的に評価されている作家、李 禹煥「関係項」

 野外美術館と云うと、「箱根彫刻の森」や現在は閉館中だがスペイン・サン=セバスチャンの「チリーダ・レク」等を連想するが、見渡しの良い平原に彫刻を置く両所と違い、木立や起伏の中に彫刻を設置しているので、歩いていると市川崑の横溝正史物みたいに突然彫刻が現れる(笑)、この人を驚かせる意外性が面白い。見たい彫刻を捜すと云う楽しみ方も出来るし、大人でも子供でも楽しめる場所だと思う。
 積雪のため11月から4月までは休館、ブロンズや鉄製の彫刻も多いので、その間はビニールシート等で厳重に養生する筈だ、その労力や雪解け後の整備等を考えると、相当費用がかかるだろうし、収入が入場料だけでは収支は赤字だろう、でもこの優れた施設はこれからも続いて欲しいと願う。

 札幌は「食べる」だけではなく、こうして文化の香りも高く、人の心も優しい街だ、訪れる毎にこの街が好きになっていく私は、近い将来は此処で「年金暮らし」をするのも悪くないなと思い始めている(笑)。



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出光美術館「東洋の白いやきものー純なる世界」展

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 8月4日から東京・日比谷の出光美術館で開催中の、「東洋の白いやきものー純なる世界」を観に行った。この企画展は「白いやきもの」である白磁と白釉陶器を、これが誕生した中国、「李朝白磁」で知られる王朝時代の朝鮮、更には日本の焼き物を体系的に並べて、その技術の進歩と系譜を追っている。
 「焼物好きが最後に行き着くのは白磁と青磁」と言われるが、私もこの白磁が大好きで、我家の食器類も半分は白磁、器を買いに行くと色々見ても結局は毎回白い器を買う事になってしまう(笑)。白い器で連想するのは三田のフランス料理の名店「コートドール」、最近では一部柄のある皿も使っているが基本白い皿が中心、他店でガラス器や石皿が流行っても、二十年以上変わらずにこれを使い続けていた、器使いにも料理人としての哲学を感じさせるのは、フランス料理の世界では稀有な存在だ。

 白磁が生まれたのは6世紀中頃の中国で、既に存在していた青磁の釉薬から鉄分を取る事によって生れたとされる、誕生にはこの頃より盛んになった東西交易により、西方のガラス瓶や銀器の輝きを陶磁器で表現したいと考えたのが始まりとも言われている、もしこれが事実なら、17世紀に東洋の白磁に憧れたザクセン公国王が、職工のベトガーに銘じて作らせた「マイセン磁器」との対比で実に興味深い話だ。
 王侯貴族が憧れた様に、白い器は長年人々が手に入れたいと願った貴重な物だ、それ程白い色を出すのは難しかった、磁器が発明される前は陶器の表面に白い化粧土を上掛けして焼成する方法が取られた、日本の志野焼や今回出品されている中国・磁州窯の白釉陶器もこの技法によるもの。その後、鉱物のカオリンの発見と窯の改良により、高温による焼成が可能となり、現在我々にも馴染み深い白磁が誕生する事になるが、製法は長い間各地で秘密とされた。

 展覧会は中国・朝鮮・日本の三部門に別れているが、今回に限っては質・量共に中国の圧勝だった(笑)。特に印象深いのは北宋時代の定窯白磁と北宋~南宋時代の景徳鎮窯、それに前述の磁州窯の白釉陶器を加えて、「中国三大色白美人産地」と呼びたい位(笑)。その中でも定窯は世界的に類品が少なく、残されているのはコレクター垂涎の品、大阪の東洋陶磁美術館にも定窯白磁の世界的名品「蓮花文洗」が所蔵されているが、今回の展示品にもこれに似た形の鉢があった、そして全展示品の中から私が選ぶ究極の色白美女は、「白磁長頸瓶」と名付けられた高さ30センチ程の白磁瓶、あたかも浮世絵の「見返り美人」やフェルメールの「真珠の首飾りの少女」みたいに、儚げで刹那的な美を形に閉じ込めた逸品だ、叶わぬ願いだがこれ欲しい(笑)。

 我が日本の代表は徳川美術館所蔵の「白天目茶碗」、16世紀に美濃で焼かれたとされる白釉陶器だが、織田信長が催した茶会でも使われた記録がある由緒正しき物、天目茶碗の本家中国の物に比べると何処か日本的で、たおやかな姿が印象深い。
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 「食」に関わる人なら一度は見ておきたい展覧会、料理は器があって完成するもの、その料理を惹き立てるのは、白磁、白釉陶に優る物はないと思う。


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曽我蕭白「雲龍図」

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 先日行って来た、東京国立博物館で開催中の「ボストン美術館 日本美術の至宝」展、これを観ていてどうしても気になる作者がいた、その名は曽我蕭白(そがしょうはく)(1730~1781)江戸時代中期に活躍した絵師だ。人物や対象の細密描写と鬼気迫る異様な構図は日本人離れしていて、一度見たら忘れられないもの、名前はもちろん知っていたが、その特異な作風に興味を覚えあらためて調べてみた。

 京都で商人の家に生れたとされるが異説もあり、資料が少なく詳しい事はわからない、伊勢や京都に作品が多く残され、両方の地を中心に活躍していたと推測される、作風は自由奔放で他の流派に属せず、時に奇怪で見る人間を不安にさせる。「狩野派」が描く絵画が正統でアカデミックな、ニーチェが言う「アポロ的」なものとすれば、それとは正反対な創造、陶酔型の「ディオニソス的」な芸術家だった、数々の奇行から同時代人からは特異な人間と見られ、自らも「狂人」と名乗っていた。
 「恐ろしく腕の立つ絵描きだが、変人で絵も不気味、気分が乗れば描いてもらえるが、機嫌が悪いとどんなに金を積んでも描かない奴」
 おそらくはこんな評判が行き渡っていたのだろう、その伝説から生前から蕭白を名乗る「贋者」がいたらしい(笑)、電話もTVもインターネットも無かった時代だ、本人かどうか確認するのは絵を描かせるしかない、それでも気分が乗らないふりをして描かないでいればしばらくはバレなかったし、周りが疑り始めたら逃げ出せば済んだ(笑)。

 蕭白と運命的に対比されるのが伊藤若冲(1716~1800)で、同じく京都の商家に生れる。家業を継ぐも商売を嫌い家督を弟に譲って40歳で隠居、以降細密な花鳥画ばかりを描き続ける、変人ぶりでは蕭白に引けを取らないが、描いた絵はより正統的だ。
 蕭白も若冲も生前は人気作家だったが、その後日本では一時忘れられた存在だったとされる、再評価されるきっかけは、明治の開国以降外国人に人気で、彼等が熱心に収集を始め、やがてコレクションとして公開される様になってからだ。これは現代の日本のアニメが欧米で高く評価されているのに似ている、特に蕭白の絵は「劇画調」なので、外国人にも訴えるものが大きかったと思われる。
 蕭白を知りたければ、現在開催中の展覧会を観る事をお薦めしたい、とくに巨大な「雲龍図」は必見だ。


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プロフィール

オンクレ・トシ

Author:オンクレ・トシ
人はそれぞれに「見方、感じ方、考え方」が違います。私が美味と思ってもそう思わない人が居て当然です、味覚とはそれだけ不安定で不完全なもの、あくまでも筆者個人の嗜好による感じ方である事を承知の上で読まれてください。
出没地域は地元の東京足立・葛飾周辺、上野、秋葉原、たまに赤坂、麻布十番等。
混雑電車が苦手で加齢による朝型人間化のため、ランチ行脚がメインです。更新は週2回が目標。
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