最後の晩餐にはまだ早い


神山典士著「伝説の総料理長 サリー・ワイル物語」

 「読んで面白い」と久しぶりに思った食関連の本を紹介したい、2005年に刊行された単行本の改題文庫化だ。

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 サリー・ワイルSaly Weil(1897~1976年)はスイス出身の料理人で、1927年横浜ニューグランドホテル開業にあたり、初代総料理長として就任し、日本の西洋料理(当時は「フランス料理」とは呼ばず、洋風料理はこう総称されていた)に変革をもたらし、多くの弟子達を育てた名料理人だ。
 著者は日本のフランス料理の歴史を調べているうちに、この料理人の名前を知り興味を抱く、のちに日本のフランス料理界を代表する事になる名料理長達が、何人もワイルの下で働いていたからで、東京プリンスホテルの木沢武男、日活ホテルの馬場久、「天皇」とまで呼ばれたホテルオークラの小野正吉等だ。またワイルの尽力により、スイスやフランスでのレストラン就労が可能になり、彼の事を「恩人」として慕う料理人も多く、「スイスパパ」なる尊称で呼ばれていた事を知る。

 ワイルの物語を書くにあたり、資料を調べていて著者は幾つかの疑問に突き当たるのだが、それは、
・フランス人ではなく何故スイス人が選ばれ雇われたのか?
・サリー・ワイルは厨房に革命をもたらしたと伝えられるが、それはどんなシステムだったのか?
・第二次大戦下、料理人として活動できなくなり、外国人のため当局の監視が厳しくなっても、彼は何故日本に留まったのか?
・終戦後、結局はスイスに帰国するのだが、その後料理人としては不遇だったと伝えられる、その理由は何故なのか?
・日本から本場フランスで働きたいと云う若者達の窓口になり、就労先まで斡旋する事になるが、そこまで彼を駆り立てたものは何か?

 筆者はこれらの答えを求めるために料理関係者と何人も会い、スイスを訪れ生存していたワイルの姪に会って話を聞き、貴重な資料を入手する。そうしてこの疑問を解いていく。
 判らない事があったら、まず現場へ行って調べるのはジャーナリストの基本だ、書いたのは元々料理業界とは関係のない人みたいだが、食材や調理法についてよく調べていて、私が読んだ限りにおいて間違いはなかった、料理については相当勉強したと思える。

 焼いた肉等をワゴンで客席へ運び、そこで切って盛り付けする「ゲリドンサービス」、コースメニューではない単品での料理注文「アラカルト」、厨房で料理人達が一定の期間で持ち場をチェンジする「シフト制」、これらはワイルが日本で初めて導入したとされる、料理長が積極的に客席へ出て客と会話をするのも、それまでの日本のレストランでは無い事だった。今は喫茶店でも見かけるが、ご飯の上にペシャメルソースを乗せる料理「ドリア」を発案したのもこのワイルだとされる。
 絵画や彫刻と違い料理そのものは未来へ残す事が出来ない、写真も残っていないので、ワイルの料理がどんなものであったのかは想像で語るしかないが、おそらくエスコフィエを基本とする正統的なフランス料理だったと思われる、それを日本人の好みと風土に合わせる柔軟性を持っていたのだろう、外国人料理人が滞在する国で認められるか否かは、これが一番重要な点だ、それは現在PARIS等で活躍する日本人料理人達が証明している。

 「天皇の料理番」の放映により秋山徳蔵が注目されているが、調べてみると明治~昭和前期にかけては優秀なフランス料理人が何人も存在した。以前は日本のフランス料理発展は戦後、特に辻静雄登場以降ではないかと思っていたが、どうもそうとばかり言えないのではと考え直している。美術業界に少し関係していた私は、明治期の美術や工芸に接する機会があり、特に金工、木工、漆芸、象牙細工等は超絶技巧な作品が残されていて、当時の日本人アルチザン達の技術は世界に誇れるものがあった、それと同じく料理に関しても、相当なレベルまで行っていたのではないかと想像している。残念なのが料理は工芸品と違い、そのままの形では後世へ残す事が出来ないので、それが最も辛い点だ。

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 サリー・ワイルの若い頃の画像と、昭和31年にかつての弟子達の招きで再来日した時に撮られた、コックコート姿の画像を挙げておく。

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 私の持論「いい料理人は、皆いい顔をしている」は当たっている?(笑)
 日本と同化した外国人料理長の元で、凄い技術者集団があったのは事実だ、彼等の業績を土台にして、現在の日本人料理人の活躍があると思う。料理人や料理業界関係者、私みたいな単なる料理愛好家でも、読んで面白い本なのでお勧めしたい。
(草思社文庫 ISBN 978-4-7942-2135-3)


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外苑前「フロリレージュ」(2015年6月) 

 南青山から神宮前に移転して2回目のフロリレージュだが、まずは本題に入る前に、この記事を読んで欲しいと思う、外国人向けのWEBサイトみたいだが、川手料理長がインタビューを受けている(勿論日本語です(笑))。
http://www.japantwo.com/ja/food/restaurant/florilege/chef.php
 最後の「アンパンマンとは子供に人気がある日本のアニメキャラクターです。」の注釈は笑えるが、記事自体は優れたもので、日本人料理人が語る言葉でこれだけ感心したのは久しぶりだ、話を導き出した質問もいい。
 「食」に囲まれて育った多感な少年が、やがて成長し料理人として世界へ羽ばたいて行く、そして自分の理想とする料理とレストランについて熱く語りながらも、冷静な分析も忘れない、読んでからヴェルレーヌの有名な一節「選ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり」を思い出した。WEB記事だけで終わりにするのは勿体ないので、聞き書きでいいから誰か本としてまとめて欲しいと思う、第二の「十皿の料理」が生まれそうな気がする(笑)。
 
 今回の訪問は知人の料理人二人と同行した、この店を体験して何かを感じて欲しいのは、まず彼等だと思ったからで、それを口実に私が行きたかったのも大きいが(笑)。あとで川手料理長と話したら、この夜集まった客の大半は料理人もしくは料理業界関係者だったらしい、私は希少な民間人?だった(笑)。
 まずは当日の料理を全品紹介したい、前回と同じく料理名ではなく、配られたメニューに沿ったメッセージと食材の表記から。

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・投影 ヤングコーン

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・連鎖 キャビア

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・ヘテロ 牡蠣

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・風景 帆立

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・はしり 鮎

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・分かち合う 塊肉(岩手石黒農場産ホロホロ鳥)

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・出逢い 鰹

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・本質 海老

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・原点 鳩(茨城産仔鳩)

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・薫り 花 チーズ

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・予感 マンゴー

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・再生 ミルク

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・こきあか 西瓜

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・緑茶 奈良産

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・佐藤錦のパート・ド・フリュイ

 インタビューのとおり食材は殆どが国産、キャビアも宮崎産との事で、旧店舗時代にはスペシャリテだったフォアグラもチョコレートデザートも無い、更には食後にコーヒーも提供しなくなった、誰かが国内で生産すれば採用されるかも知れないので、これから市場開拓するつもりならこの3つは狙い目かも、「フロリレージュ御用達」を名乗れるチャンスあり?(笑)。
 それぞれの料理は、旧店時代に作られていたものが原型になっていると思う、ただクオリティは向上しているし、何より皿上から余計なものが消えて本質がよく見える様になった。一例としてホロホロ鳥の料理を挙げるが、夜の客のために午後3時頃から焼き始めたと聞く低温長時間調理で、まず一羽そのままの姿を皆に見せ、その後「分かち合う」ために切り分ける、まずはこの火入れが絶妙、ガルニは新玉葱のロースト(中にウッフブイエを仕込んである)だけという潔さ、食べながら「ホロホロ鳥、こんなに美味しい鳥だったとは」と、目からウロコいや目からホロホロの思いだった(笑)。
 前店から最も変わったのはデセールだと思う、一品の完成度は前の方だが、今はもっと物語性がある、今回もマンゴー以下の3品を食べていると、何故か懐かしい気持ちに捉われた、子供時代に何よりも美味しかった駄菓子や、汗をかきながら食べた真夏の西瓜、あの味を思い出した、食べる人間の深層心理に訴えるのだ。過去レストランでこうした感情になったのは、バスクの名店「マルティン・ベラサテギ」での、魚のスープ以来だった。

 そしてこの店を最も特徴づけるのが、オープンキッチンで繰り広げられる料理人達の動きを観られる事で、2ヵ月前の移転後初訪問時より更に洗練されたと感じる。同行した料理人は「誰一人として無駄な動きをしていない」と、同業者らしく感心していたが、私はもっと感覚的に、バレエそれもストラヴィンスキー「春の祭典」の舞踏版を見るみたいな、知的な興奮を覚えた。通常、一回目で感心した店でも、二回目では何処かの瑕疵に気付くものだが、今回はそれを全く感じさせなかった。
 ただ酒飲みでない私があえて言わせてもらうと、この繊細な料理にワインは合わないのでは?と感じた事位、特に南欧や南米等の果実味濃いワインは難しいと思う、国産ワインか日本酒、いや水が一番相性いいかも知れない(笑)、料理人は勿論それを理解していて、ワイン以外のドリンクペアリングやノンアルコールドリンクのペアリングも用意している。

 この料理人と店は一体何処まで進化するつもりなのだろうと、正直怖くもなるが、通えるお金のあるうちは、また次の予約を取らないといけない、もしお金がなくなったらカードローン使ってでも行きたい(笑)、こう思わせる稀有な店だ。


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春日「四川料理・川国志」その3 

 勤め先近くの格安四川料理店、春日「川国志」の記事は、このブログで過去2回取り上げたが、不思議な位に反響が大きかった。約一年前に書いた2回目の記事ではfacebookと連動した「いいね!」の数が何と589もあり、この記録は未だに破られていない(笑)。このブログも中国にまで知られ、遂に国際的な知名度になったのか?と勝手に解釈したが、中国語のコメントも来ていないので、本当の理由は判らないが(笑)。
 この店と比較するため、我家の近くでも中華料理店の定食類を以前より食べる様になったが、やはりこの店は頭一つ抜けていると感じている。料理の味自体は「とんでもなく美味しい」と云うレベルではないが、内容・味・値段のバランスを考えると、何よりお得感が大きい。

 時間は一年前まで遡るが、前回の記事後に画像に残し、前2回で紹介していない料理を中心に載せる事に、値段はどれも税込800円前後だ。

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・冷やし中華と半炒飯

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・ゴーヤと卵、豚肉炒めと餃子

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・レバニラ炒め

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・青椒肉絲麺と餃子

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・鶏肉の甘酢炒めと焼売

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・四川風豚肉の土鍋煮込

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・定番の麻婆豆腐

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・この店で最初に注文するのは、まずこれでしょう(笑)。

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・ネギ豚肉中華味噌炒めと肉団子の唐揚

 冷やし中華だけが物足りなかったが、これは調理が中国の人なので仕方ない処だろう、中国には冷やし中華は無い(笑)。あとの定食類は概ね美味しかった、麺が少し弱い気がするので、どちらかと云えばこの店ではご飯系の方がお薦め出来る。

 2013年3月の黒田日銀総裁就任から始まる金融緩和は、円安と株高を生んだが、同時に食料品等の急激な高騰と云う副作用を起こしてしまった。原材料等の値上げは飲食店を直撃、メニューや献立価格を上げざるを得なくなった、そして昨年4月に消費税額が8%に引き上げられ、サラリーマンの財布を二重に痛める事になる。以前は5~600円で済ませていたランチも7~800円、店によっては千円超えも普通になり、それに消費税が加わる店も珍しくなくなった。職場内でも以前に比べると、弁当持参やコンビニ食の調達が増えていると感じている、外食自体が減っている現実がある。
 
 そんな中でこの川国志は値段をまったく上げていない、企業努力?で抑えている。その理由を考えているのだが、飲食店の経費は固定費(家賃、物件減価償却費、リース料等)と変動費(食材料原価、人件費、光熱水費等)に分けられる、固定費と変動費の合計が総売上げの90%以内、つまり経常利益が10%以上にするのが飲食店経営の基本だと云われる、このうち人件費以外は、経営が日本人でも中国人でも、同じ場所にあれば殆ど変わらない筈、そうすると人件費で抑制しているとしか思えない、全員中国人と見える従業員は見る限りは6~7名だが、彼・彼女達の賃金は一体幾ら位なのか、訊いてみたい気もする。
 背景には13億の人口を抱えている中国がある、日本と同じく若年人口は減っているがそれでも規模が違う、労働人口は幾らでも確保出来るのだろう。同様に都内ではインド料理店も値段を殆ど上げていない、これもパキスタン、ネパールやバングラディシュから安価な労働力が望めるからだと思う。
 こうして考えると、飲食店にとって最大の負担は人件費なのだろう、飲食店を繁盛させるのは人の力だが、衰退へ向かわせるのも人、最後はやはりワン・オペ店へ行き着くのかも知れない(笑)。

 話は川国志へ戻るが、元気のいい名物店員だった男性は神保町店開店に伴い移籍し、ちょっと寂しくなった。それでも年中無休で11時から23時半まで営業を続ける、彼・彼女達の姿を見ていると、まるで高度経済成長期の日本人の姿みたいだ、「ゆとり教育」のせいなのかは不明だが、日本人は昔ほど必死に働かなくなった気がしている。
 日本人経営の飲食店が、後継者や人出不足の理由で閉めた後に、中国人の経営する中国料理店と、インド&パキスタン人が経営するインド料理店が入るパターン、東京では暫く続きそうな気がしている(笑)。

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稲荷町「キエチュード」

 この日訪れるフランス料理「キエチュード‘Quiétude’」は、上野稲荷町に5月17日にオープンしたばかりの店だ。1981年生れと云う若い荒木料理長は、大阪の名門辻調理師専門学校⇒同フランス校⇒(株)「ひらまつ」入社⇒ひらまつPARIS店⇒カナダ、モロッコ等で料理人として働き⇒帰国後都内ベルギー料理店⇒銀座「エスキス」勤務⇒独立開業と云う、王道エリートコースを歩んで来た料理人で、私は共通の友人が居た事から開店を知った。
 興味を惹かれたのは、料理人の華麗な経歴に加えて、上野稲荷町と云うフランス料理とは無縁だった下町地区にあえて出店した事、更には夜でもムニュ5,000円1種だけで展開するコンセプトに、新鮮さと共感を覚えたからだ。

 店の場所は地下鉄稲荷町駅を出て、仏壇仏具店が並ぶ浅草通りを上野に向かって左手、下谷神社の大鳥居を潜り、神社前の新しいビル1階にある、見かけそのまま「門前レストラン」だ(笑)、建物のコーナーを切って入口にしているのは面白い造りだ。

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 入店時に目の前に現れたのが荒木氏、料理長自らの出迎えになった。店内は左手にベンチシート席、右側がカウンターとオープンキッチンで合計18席。北欧調の白木のテーブルと椅子、店内も白色を基本に木部を強調、明るさと若々しさがあり、池袋の「シュヴァル・ドゥ・ヒョータン」に少し雰囲気が似ている。キッチンは料理長の他にもう一人、サービスは専任の男性が一人で担当する。テーブルクロスは省略、カトラリーはデセール以外使い回す方式だ。
 まずは荒木氏と挨拶を交わして少し話をした、この地を選んだのは、以前近所に住んで居た事があり、現在も台東区内に居住していて、土地勘があった事が大きかったからだそうだ。東京北端に住む私には港区や目黒区でなく、アクセスのいい下町地区に出店してくれたのは嬉しい事だ(笑)。

 前述のとおり、ディネは全8品で5,000円(税別、サービス料500円)、その全品を以下に紹介したい、

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・ジャガイモ ミョウガ バジル

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・グジェール レバーペースト

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・アスパラガス サラダ フヌイユ

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・マコガレイ 昆布 緑豆

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・ウズラ 豆苗 ヤングコーン

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・ジャスミンライス ミルク

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・パッションフルーツ チェリー

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・ミニャルディーズ

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・コーヒー

 始まりは穏やかなスタート、ポテチみたいなアミューズから、レバーペーストを挟んだグジェールに続く。そして野菜料理でラウンド開始、ブラスのガルグイユみたいな野菜の重層的な美味しさを強調、フェンネル風味のソースにパン粉のクリスピー感が効いている。
 魚料理はマコガレイ、ポワレしてから皮を外すフランス的手法の調理は火入れが絶妙で、ソース代わりに魚身に乗せたのが塩昆布の粉末、こう書くと「和食」みたいに思われそうだが、ガルニのプチポワの扱いがフランス的なので「これはフランス料理だ」と、脳が納得する(笑)。
 肉料理は鶉、ビストロ料理なら骨付きでグリルかローストにする処だが、骨抜きした身で木耳と豆苗を巻き、更にパートブリックを被せてローストする手の込んだガストロ料理、ソースは少量だがジュを主体にしたもの、ガルニはヤングコーンだった。
 デセールは「リ・オ・レ」と、フロマージュブラン&チェリージャムとパッションフルーツを使ったティラミス風の2品、味わいは軽いが、どちらも印象的な美味しさ。本格的な大型マシーンで淹れるコーヒーも美味だった。
 
 料理全体の印象は、一品一品の味わいは軽めだが、油脂もしっかり使っているし、食材の質を生かす調理が秀逸で、食べ終わると思ったより充実感がある。随所にエスニックや和的なものを忍ばせているのが個性的で、料理長はフランスだけでなく、カナダのケベック(仏語圏)やモロッコでも働いていたので、その経験がプラスになっているのではと感じた。
 自分の出身と方向性はガストロ店、だから低廉なムニュでも手をかけた仕事をしたい、そのためにはおまかせ1本でやる、こう考えた結果が今のスタイルになったと解釈した。
 
 今まで下町地区にはなかったタイプのレストラン、下町版の「青山 L’AS」と云えなくもないが、料理人の持っているポテンシャルは同等以上かも知れない。
 なお店名の‘Quiétude’は「平穏」「安らぎ」の意味だが、料理長の名前にかけて‘a la Quiétude’「荒木の練習(曲)」と読ませたかったらしい、これで練習のつもりなら、本番はどんな凄いグランド・ソナタを聴かせてくれるのだろう(笑)。
 これは楽しみなレストランが出現した、定期的に通いたい店がまた一つ増えてしまった。


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亀有「ジェイジェイ・ハワイ」※閉店しました

 「ジェイジェイ・ハワイ」、この不思議な名前のケーキショップは、私の実家がある亀有に今年2月に出現した。亀有駅北口から少々歩いた場所にある店舗は少々曰く付きで、最初は母娘がやっているベーカリーカフェ、此処が閉店した後にはトルコ人がやっていたイタリア料理店?(笑)、これも短期間で閉めた後に出来た。
 最初は「HAWAI」の文字から、ハワイアン料理を出す店と思っていたら、スイーツ専門店なのを知った、それも「ハワイのスイーツ」なのだそうだ。それから調べてみたら、オーナーはジェイ・ジェイ・ランコットと云う人で、PARISやNYの‘Maxim’s’で修行を積み、「ハワイでは味と見た目が“アメリカン”なものが多く、甘さ控えめで上品な大人のケーキが無かったから」甘さを抑えたケーキ類の製造販売を始め、現地のセレブや旅行者の間で瞬く間に人気店になったとの事だ。

 今年1月に東京・原宿に日本1号店を開き、2月には亀有と下北沢に続けて2号、3号店を開業する。原宿、亀有、下北沢と関連性がよく判らない街の組合せが強引(笑)、あえて言えば常磐線~千代田線~小田急線の直線ルート?
 亀有店は何回か店前を自転車で通り過ぎたのだが、入り難い雰囲気もあって見送っていたが、「怖いもの見たさ」もあり(笑)この日初訪問をしてみた。

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 店内の壁は黄色く塗られ、幾つかハワイに関連したアイテムが置かれている、元々レストランだったので、店内は広くイートインスペースにしている、入口近くにケーキ類を並べたガラスケースがあるが種類はそれ程多くない。おそらく店内では作っておらず、セントラルキッチンから運んだ物だと思う。

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 接客にあたったのが、アロハシャツ&カットジーンズ姿で生足(観察細かい(笑))の可愛い女性で、この点では安心?(笑)。何を買おうか迷うのだが、結局人気の高そうなケーキを3個買う事にした、値段は全て480円(税別)で、これは亀有価格ではなく原宿や下北沢価格だ、店を出る時に店員女性が「マハロ~」と云ってくれる、これあとで調べたらハワイの現地人(「ロコ」と呼ぶ、「ロコモコ」のロコ)が使う言葉で「ありがとう」の意味だそうだ、でも若い女性に突然云われると、変に都合よく解釈してしまう(笑)。

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 店外にはそのジェイ・ジェイさんの顔を中心に据えた看板があった、百田尚樹を善人風にしたみたいな顔にも見えるが(笑)、東洋が少し混じっているのかな?
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 家へ帰り早速試食をする事に、ローズピンクにスカイブルーのパッケージはかなり目立つ。

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・オレンジタルト(税別480円)
 プラスチックカップに入ったスポンジケーキの上にクリーム、その上には「缶詰みかん」みたいなオレンジ?が乗る、こう書くとあまり美味しそうではないが(笑)、実際にはそれなりに食べられた、味は悪くない。

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・チョコレートピラミッド(同480円)
 この店の人気No2だそうだ、ハワイではこのケーキで一躍有名になったと云われる、味は見かけより濃厚、バターやフォアグラみたいなネットリとした食感で、甘さも決して「控え目」ではない、個人的にはもう少し軽い食感が好みだが個性と良質さは感じた、この濃い味が好きな人はいると思う。

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・リリコイチーズケーキ(同480円)
 人気No1の商品、「リリコイ」とはパッションフルーツのハワイでの呼び名、円筒型のチーズケーキの上にリリコイのジュレを乗せ、フランボワーズを一個入れてある、甘味と酸味のバランスが優れ、個人的にはこれが一番気に入った、前2種のケーキは今一つハワイ的な感じを受けなかったが、これは何となくハワイをイメージした、ただ私はハワイに行った事はないが(笑)。

 ハワイかどうかは別にしても、全体的には美味しいケーキだと思う、ただ値段はこの店からそう離れていない、ブログで紹介した「アンティーム」や「アークトゥルス」と比べると100円前後高いので、これをどう考えるか。
 クオリティが同等なら人はよりロープライスな物を求めるかとなると、これがそうとも言えないのが嗜好の世界で、ブランドイメージ等の付加価値が必要になる場合がある、「ハワイで一番人気のスイーツなら一度食べてみたい」と思う人は居る筈だ。
 これから下町亀有でどう評価され、支持する人を獲得出来るのか、「やっぱり亀有は駄目だ」と言われないよう、今度は長続きして欲しいと思う(笑)。


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西尾益吉と「燕楽軒」

 TBS系列で放映中の「天皇の料理番」は、宮中で50年以上に渡って主厨長を務めた秋山徳蔵の若き日をモデルにしているが、とても面白く久しぶりに次回放映が待ち遠しいTVドラマだ。俳優陣もいいがスタッフ、資金、時間を十分に使った企画であり、料理と同じで人を感動させるものを作るには、それなりの手間とお金が必要だと云う事を、改めて認識させてくれた(笑)。
 このドラマで興味を持ち、秋山徳蔵の事を調べていて、明治期の日本人料理人達の名前を知った、その中で秋山以上に興味を惹かれる人物が居たので、今回はその話を書く事にしたい。

 料理人の名前は西尾益吉、「築地精養軒」の第四代料理長で、残念ながらドラマには登場しないが、実在の秋山徳蔵が渡仏前に精養軒で彼の下で働き、フランスでの厨房経験ある西尾が、料理長として大きな存在感を示し、流暢な仏語でメニューを記しているのに憧れ、秋山自身もフランス行を決意したと伝えられる。
 西尾が料理長だった築地精養軒は、外国からの要人接待の場として、明治5年に日本初の本格的な西洋料理店として開業する、現存する「上野精養軒」は、明治9年に開業した支店だ。初代料理長はスイス人のカール・ヘスで、西尾はこのヘスの下で学び、その後精養軒の出費で単身渡仏、ホテル・リッツで「近代フランス料理の父」とされる、オーギュスト・エスコフィエに師事している。この「師事」がどの程度のものであったか不明だが、同じ職場で働き、エスコフィエの厨房指揮ぶりを見たのは事実みたいだ。私が調べた限りでは、日本人が本場フランスで料理人として働いたのは、この西尾が最初ではないかと思う。
 築地精養軒は1909(明治42)年に旧建物を改築、ホテルを併設した3階建ての堂々たる建物になった、秋山徳蔵がフランスに渡ったのが同年なので、西尾の下で働いていたのは旧建物時代だと思う。

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・改築前の精養軒

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・3階建32室の新館
 この新館は1923(大正12)年の関東大震災により焼失、以後再建される事なく、精養軒本社は上野に移る事になる。

 エスコフィエ流の最新フランス料理を持ち帰った西尾の料理長時代、築地精養軒は日本を代表するフランス料理店として全盛期を迎え、政財界や文壇の名士達が集う場所になる。彼の下からは秋山徳蔵を始め、多くの弟子達が育った。
 やがて西尾は精養軒の取締役兼支配人にまで上り詰め、役員として経営側に回る事になる、料理人の地位が低かった当時としては異例の出世だ。しかしここから彼の人生に転機が訪れる、職人気質の西尾は、当時の精養軒幹部達の放埓経営ぶりを知り、義憤を覚え彼等と対立、社長を含む経営陣を追放する事を企てるが、結果抗争に敗れて自身が精養軒を去る事になる。
 このエピソードは西尾側からの見方で、精養軒側からの反論資料は無い、当然精養軒の歴史でも触れられていないので、どこまで真実なのか、今となっては確認出来ないが、帝国ホテルを退社し自店を開業するつもりながら叶わなかった村上信夫や、役員待遇の地位にありながら、後進のため自ら志摩観光ホテルを去った高橋忠之両氏とは、時代が違うとは言え、相当違った身の処し方だ。

 その後西尾は一時海軍省食堂の料理長を務め、1918(大正7)年にフランス料理店「燕楽軒」を開業する。場所は文京区(当時は本郷区)の本郷三丁目、この近くには中央公論社があった事から芥川龍之介、菊池寛、久米正雄と云った文豪達が来店し盛況だったと伝えられる、そして実際には一ヶ月にも満たないが、近くにあった菊富士ホテルに居た宇野千代が、この店で女性給仕として働いていた、こうして名前を並べただけで眩暈がしそうな役者が揃った、何とも凄い店だ(笑)。
 燕楽軒があった場所は、私の勤め先から近いので、この記事を書くにあたって訪ねてみた。本郷三丁目交差点を東大赤門に向かってすぐ左側、菊坂通りと接する角地で、現在はビルが建っている、一階はパチンコ店だったが、建物耐震補強のため閉鎖されていた。燕楽軒跡地だった事を示すプレートがあったらしいが、現在は撤去され当時を偲ぶ物は何もない。

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 中央公論社は「燕楽軒の前にあった」と書いている記事があるが、調べてみると実際は交差点の斜め向こう側、和菓子店の「三原堂」の裏手あたりだったそうだ。

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 WEB上で当時の燕楽軒の建物外観の画像を見付ける事が出来た、隣にある「明月堂」は明治25年創業のパン屋で、つい最近(去年?)まで営業していた、その店舗と較べると、燕楽軒の建物の立派さが判る。

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 西尾益吉の生年は1875年頃で没年も昭和の初め頃としか判っていない、肖像も探したが見つからなかった。燕楽軒自体は西尾の死後も続いていたが、戦災により建物は消失し、戦後の再建はなかった。
 西尾と彼の店は、「記録より人々の記憶に残る」料理人と店だった、こうした潔い本物の職人気質の料理人が居た事を知り、明治人の気概に憧れている(笑)。
(精養軒と燕楽軒の画像はWEB上から引用しました)


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神楽坂「オー・トレーズ・ジュイエ」(2015年5月)    

 この日の夜は、久しぶりになってしまった神楽坂のフランス料理「オー・トレーズ・ジュイエ」へ、1月のランチ、ディナーだと去年8月以来だ。
 今は一度店へ行くと、その店をローテーションに入れたとしても、次に伺うのは一年後位になってしまう事もある、それだけ財布の中身に反比例する様に、東京では店が増え続けている 。「今度行こう」と思っているうちに閉店していた事も珍しくなくなった(笑)、閉店した店舗の後には次のレストラン、この繰り返しを「閉店スパイラル」と呼ぶそうだが、潤うのは物件オーナーだけだ(笑)。

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 「オー・トレーズ・ジュイエ」は現在、佐藤料理長一人だけで店を運営している、過去に入った若い子達は皆辞めて行ってしまい、料理長自身も「雇っても戦力にならないなら、一人でやった方がいい」と開き直った?みたいだ、ただ店の構造が「アルドアック」や「モン・プチ・コションローズ」みたいに、ワンオペを想定した造りになっていないので、その点では難しさもある。
 
 初夏5月末のメニューは以下のとおり、

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・甘海老のタルタルと三つ葉、大根とレフォールのスープ

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・Camille Giroudの2010 Bourgogne Blanc

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・テクビイカのピペラードファルシー、ラディッシュのクーリ

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・焦がした小麦を使ったフォカッチャ

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・帆立貝とブルグ―ㇽ小麦、コーヒーゼリーとブーダンノワール

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・ソイのポワレ、つぶ貝とレンズ豆のミジョテ、焼きナスとケッパーの香り

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・フランス産鶉のオレンジとパンデピスファルシー、ヤングコーン、牛蒡、蕪

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・豚すね肉のカシス煮のカダイフ包み、グリーンピースのピュレ

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・セックス・オン・ザ・ビーチ~メロン、パイン、フランボワーズ~

 アミューズは大根を使った和的な料理、次のテクビイカは別名ヒイカ、ジンドウイカと呼ばれる小型のイカで、青森が名産地との事だ。イカの火入れは難しいが、この料理は堅過ぎず柔らか過ぎないジャストな旨さを引き出していた。
 帆立貝は小粒だが旨味あるもの、ブルグ―ㇽとコーヒー風味のブーダンノワールとの相性が面白い。魚料理のソイはカリっと焼かれた皮身をレンティーユのスープに合わせる、佐藤料理長が得意とする手法だ。
 肉料理は二種類出してくれたが、特に鶉が良かった、繊細な肉質の仏産カイユだが、その特質を際立たせる調理は見事(笑)。
 カクテルの名前に因んだデセールは、クリームチーズベースのムースに、フルーツのコンポートとパイナップルケーキを置き、フランボワーズのグラニテを添えたもの、フルーツを使用したデセールは難しいのだが、これは見た目、味共上手くまとめていると思った。

 佐藤料理長とは約3年の付き合いだが、料理の基本はあくまでもガストロ路線、値段を落としたからと云って、煮込んだだけとか焼いただけの肉は出したくない料理人だと見ている。
 例えば人形町「イレール」や銀座「ル・ボーズ」の料理人が、ガストロ出身ながら現在はビストロに路線変更し、営業的に成功しているのと対照的だ。これは自分の料理をどう考えるか、何を表現して誰にどう提供したいのか等、料理の本質に関わる難しい問題なので、簡単には結論付けるのは無理だが、あまり儲けていない事だけは推測できる(笑)。おそらく彼は「レストランとは、こうあるべき」みたいな理想を持っていて、それを崩してまで仕事をしたくないのだろう。
 食後、佐藤料理長とこの店を初めて訪れた頃からの話をしたが、僅か3年でも随分と昔みたいになってしまった、東京での3年間は日本全体の平均値で考えれば6年位にあたるかも知れない(笑)。

 帰りはメトロ神楽坂駅まで歩いて帰ったが、平日だった事もあリ、神楽坂の夜の人出は意外に少ない。消費税上げや円安に伴う諸物価値上げに対し、私を含めた一般庶民の節約志向は顕著だと感じている。この神楽坂でも客単価はランチ1~2千円、夜でも5千円以下がいい処ではないか?客が入っているのは、その価格帯の店だけみたいに見える、それに合わせて客単価を抑え回転で身入りを増やそうとする、ワインバーやバル的な店が増加している。これが良い事なのか、悪い事なのかは何とも言えない。
 今東京の飲食、特に設備投資が多額になる本格的フレンチやイタリアンで、テナントを借り、人を雇って且つ安定した黒字を続けるのは本当に難しくなっているが、これから本気で料理に取り組もうとしている、若い料理人達の意欲と才能を生かす場所が無くならない事を願っている、何とか業界全体を盛り上げたいものだ。



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オンクレ・トシ

Author:オンクレ・トシ
一般的に云う「グルメブログ」ではありません、店の点数評価等はしません。食の現場に集まる「人」を描きたいと思っています、もし読んで何か不快になる事があったとしたら、筆者の表現不足によるものでしょう。
出没地域は地元の東京足立・葛飾周辺、上野、秋葉原、たまに表参道、麻布十番等。
混雑電車が苦手なのと現在失業中によりランチ行脚がメインです。更新は週2回が目標。
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