最後の晩餐にはまだ早い


増田勉作「三島五寸鉢」

 先日、いつもの様にオークションサイトの陶芸ジャンルを眺めていて、「これいいな、欲しい」と思って、入札してしまったのが増田勉作の「三島鉢」、直径16㎝程の小ぶりの鉢、結局競争者が現れず出品時の価格で落札する事が出来た。
 送られて来た物を見たら、予想以上に良い出来で安価で買えた事が嬉しい(笑)、見た目より軽く、これは日常で使いたい器だ。ネットオークションで器を買うのはハズレを引く事もあるが、最近はデジタル写真の向上により、画面で見た印象とそう違わなくなった。

          130605-1.jpg

              130605-2.jpg

 WEB情報によると作者の増田勉は1954年東京生まれ、日大芸術学部美術学科卒業後、美術教師に就きながら独学で陶芸を学び独立、現在は神奈川県津久井にて作陶を続けている。作風は「李朝」の焼き物を範とし、粉引、刷毛目、黒釉、灰釉といった古来より伝わる技法を使い、シンプルで日常の暮らしの中で使える器を作っている。

 李朝とは1392年から1920年まで続いた朝鮮半島最後の王朝を指すが、骨董の世界ではこの時代に作られた工芸を総称して呼ぶ、陶磁器については殆どが民衆の日用雑器だったが、室町時代頃から日本に伝わり、千利休が広めた「侘び茶」の精神と繋がるものがあり、特に戦国時代に武将達がこぞって求め、以後日本では骨董陶磁器の代表的収集品となっている。豊臣秀吉による朝鮮戦役への出兵に駆り出された武将達は、同じ物を作りたいと朝鮮の陶工達を連れ帰り、日本で作らせた物が萩焼や唐津焼の始まりとなった。

 「三島」とは李朝以来の装飾技法の一種で、成形した半乾きの陶土へ、波形や丸紋、菊花紋等を型で押判して凹ませ、その上から白化粧土を掛け拭き取ると凹みの中に白い文様が浮き出る、これに透明釉薬を掛けて焼成するやり方、韓国では「粉青沙器」と呼ぶ。なぜこれを日本で「三島」と呼んだのかについては諸説あるが、有力なのは伊豆三島で作られていた「三島歴」に文様が似ていて、これを見た日本の茶人達が「三島みたいな文様の茶碗」と呼んだとの説で、室町時代の茶会記には既に「みしま」の名前で記録されているそうだ。

 ちなみに我家で所蔵する門外不出(笑)の、李朝初期おそらく15~16世紀頃と思われる三島鉢を紹介しておく、大きさ深さ共に今回の増田勉作の物より一回り大きい、買ったのは骨董ブームの頃で恐ろしい値段がした(笑)、全体に傾いでいて高台も小さく実用にはあまり向いていない(笑)。

          130605-3.jpg

              130605-4.jpg

 伝世品と全く違わない物を作ってもそれは「コピー」でしかない、技法の研究にはなるが、それを作って売るとなると、現代の生活に沿って実際に使われる物にする必要がある、この増田勉が作った器にはその実用性を感じる事が出来た。

 今は105円ショップで皿、茶碗、グラスと何でも揃えることが出来るが、あれを自宅で使いたいとは正直思わない、スーパーの安売り豆腐でも、いい器に盛れば美味しくならなくとも、心は少し豊かになれる(笑)、かの北大路魯山人も金の無い時代に、無理して買った高価な切子のガラス器に、安い豆腐を入れ食べていたそうだ。
 今の時代に気持ちが豊かになれる事にお金を使うのは、無意味な事ではないと思いたい(笑)。

スポンサーサイト

  1. [ edit ]
  2. 器・骨董
  3. / trackback:0
  4. / comment:0


 管理者にだけ表示を許可する
 


プロフィール

オンクレ・トシ

Author:オンクレ・トシ
一般的に云う「グルメブログ」ではありません、店の点数評価等はしません。食の現場に集まる「人」を描きたいと思っています、もし読んで何か不快になる事があったとしたら、筆者の表現不足によるものでしょう。
出没地域は地元の東京足立・葛飾周辺、上野、秋葉原、たまに表参道、麻布十番等。
混雑電車が苦手なのと現在失業中によりランチ行脚がメインです。更新は週2回が目標。
ブログの品位を維持するため、コメント欄は承認制にしています。

訪問者

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

« 2017 11  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -