最後の晩餐にはまだ早い


曽我蕭白「雲龍図」

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 先日行って来た、東京国立博物館で開催中の「ボストン美術館 日本美術の至宝」展、これを観ていてどうしても気になる作者がいた、その名は曽我蕭白(そがしょうはく)(1730~1781)江戸時代中期に活躍した絵師だ。人物や対象の細密描写と鬼気迫る異様な構図は日本人離れしていて、一度見たら忘れられないもの、名前はもちろん知っていたが、その特異な作風に興味を覚えあらためて調べてみた。

 京都で商人の家に生れたとされるが異説もあり、資料が少なく詳しい事はわからない、伊勢や京都に作品が多く残され、両方の地を中心に活躍していたと推測される、作風は自由奔放で他の流派に属せず、時に奇怪で見る人間を不安にさせる。「狩野派」が描く絵画が正統でアカデミックな、ニーチェが言う「アポロ的」なものとすれば、それとは正反対な創造、陶酔型の「ディオニソス的」な芸術家だった、数々の奇行から同時代人からは特異な人間と見られ、自らも「狂人」と名乗っていた。
 「恐ろしく腕の立つ絵描きだが、変人で絵も不気味、気分が乗れば描いてもらえるが、機嫌が悪いとどんなに金を積んでも描かない奴」
 おそらくはこんな評判が行き渡っていたのだろう、その伝説から生前から蕭白を名乗る「贋者」がいたらしい(笑)、電話もTVもインターネットも無かった時代だ、本人かどうか確認するのは絵を描かせるしかない、それでも気分が乗らないふりをして描かないでいればしばらくはバレなかったし、周りが疑り始めたら逃げ出せば済んだ(笑)。

 蕭白と運命的に対比されるのが伊藤若冲(1716~1800)で、同じく京都の商家に生れる。家業を継ぐも商売を嫌い家督を弟に譲って40歳で隠居、以降細密な花鳥画ばかりを描き続ける、変人ぶりでは蕭白に引けを取らないが、描いた絵はより正統的だ。
 蕭白も若冲も生前は人気作家だったが、その後日本では一時忘れられた存在だったとされる、再評価されるきっかけは、明治の開国以降外国人に人気で、彼等が熱心に収集を始め、やがてコレクションとして公開される様になってからだ。これは現代の日本のアニメが欧米で高く評価されているのに似ている、特に蕭白の絵は「劇画調」なので、外国人にも訴えるものが大きかったと思われる。
 蕭白を知りたければ、現在開催中の展覧会を観る事をお薦めしたい、とくに巨大な「雲龍図」は必見だ。

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