最後の晩餐にはまだ早い


西尾益吉と「燕楽軒」

 TBS系列で放映中の「天皇の料理番」は、宮中で50年以上に渡って主厨長を務めた秋山徳蔵の若き日をモデルにしているが、とても面白く久しぶりに次回放映が待ち遠しいTVドラマだ。俳優陣もいいがスタッフ、資金、時間を十分に使った企画であり、料理と同じで人を感動させるものを作るには、それなりの手間とお金が必要だと云う事を、改めて認識させてくれた(笑)。
 このドラマで興味を持ち、秋山徳蔵の事を調べていて、明治期の日本人料理人達の名前を知った、その中で秋山以上に興味を惹かれる人物が居たので、今回はその話を書く事にしたい。

 料理人の名前は西尾益吉、「築地精養軒」の第四代料理長で、残念ながらドラマには登場しないが、実在の秋山徳蔵が渡仏前に精養軒で彼の下で働き、フランスでの厨房経験ある西尾が、料理長として大きな存在感を示し、流暢な仏語でメニューを記しているのに憧れ、秋山自身もフランス行を決意したと伝えられる。
 西尾が料理長だった築地精養軒は、外国からの要人接待の場として、明治5年に日本初の本格的な西洋料理店として開業する、現存する「上野精養軒」は、明治9年に開業した支店だ。初代料理長はスイス人のカール・ヘスで、西尾はこのヘスの下で学び、その後精養軒の出費で単身渡仏、ホテル・リッツで「近代フランス料理の父」とされる、オーギュスト・エスコフィエに師事している。この「師事」がどの程度のものであったか不明だが、同じ職場で働き、エスコフィエの厨房指揮ぶりを見たのは事実みたいだ。私が調べた限りでは、日本人が本場フランスで料理人として働いたのは、この西尾が最初ではないかと思う。
 築地精養軒は1909(明治42)年に旧建物を改築、ホテルを併設した3階建ての堂々たる建物になった、秋山徳蔵がフランスに渡ったのが同年なので、西尾の下で働いていたのは旧建物時代だと思う。

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・改築前の精養軒

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・3階建32室の新館
 この新館は1923(大正12)年の関東大震災により焼失、以後再建される事なく、精養軒本社は上野に移る事になる。

 エスコフィエ流の最新フランス料理を持ち帰った西尾の料理長時代、築地精養軒は日本を代表するフランス料理店として全盛期を迎え、政財界や文壇の名士達が集う場所になる。彼の下からは秋山徳蔵を始め、多くの弟子達が育った。
 やがて西尾は精養軒の取締役兼支配人にまで上り詰め、役員として経営側に回る事になる、料理人の地位が低かった当時としては異例の出世だ。しかしここから彼の人生に転機が訪れる、職人気質の西尾は、当時の精養軒幹部達の放埓経営ぶりを知り、義憤を覚え彼等と対立、社長を含む経営陣を追放する事を企てるが、結果抗争に敗れて自身が精養軒を去る事になる。
 このエピソードは西尾側からの見方で、精養軒側からの反論資料は無い、当然精養軒の歴史でも触れられていないので、どこまで真実なのか、今となっては確認出来ないが、帝国ホテルを退社し自店を開業するつもりながら叶わなかった村上信夫や、役員待遇の地位にありながら、後進のため自ら志摩観光ホテルを去った高橋忠之両氏とは、時代が違うとは言え、相当違った身の処し方だ。

 その後西尾は一時海軍省食堂の料理長を務め、1918(大正7)年にフランス料理店「燕楽軒」を開業する。場所は文京区(当時は本郷区)の本郷三丁目、この近くには中央公論社があった事から芥川龍之介、菊池寛、久米正雄と云った文豪達が来店し盛況だったと伝えられる、そして実際には一ヶ月にも満たないが、近くにあった菊富士ホテルに居た宇野千代が、この店で女性給仕として働いていた、こうして名前を並べただけで眩暈がしそうな役者が揃った、何とも凄い店だ(笑)。
 燕楽軒があった場所は、私の勤め先から近いので、この記事を書くにあたって訪ねてみた。本郷三丁目交差点を東大赤門に向かってすぐ左側、菊坂通りと接する角地で、現在はビルが建っている、一階はパチンコ店だったが、建物耐震補強のため閉鎖されていた。燕楽軒跡地だった事を示すプレートがあったらしいが、現在は撤去され当時を偲ぶ物は何もない。

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 中央公論社は「燕楽軒の前にあった」と書いている記事があるが、調べてみると実際は交差点の斜め向こう側、和菓子店の「三原堂」の裏手あたりだったそうだ。

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 WEB上で当時の燕楽軒の建物外観の画像を見付ける事が出来た、隣にある「明月堂」は明治25年創業のパン屋で、つい最近(去年?)まで営業していた、その店舗と較べると、燕楽軒の建物の立派さが判る。

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 西尾益吉の生年は1875年頃で没年も昭和の初め頃としか判っていない、肖像も探したが見つからなかった。燕楽軒自体は西尾の死後も続いていたが、戦災により建物は消失し、戦後の再建はなかった。
 西尾と彼の店は、「記録より人々の記憶に残る」料理人と店だった、こうした潔い本物の職人気質の料理人が居た事を知り、明治人の気概に憧れている(笑)。
(精養軒と燕楽軒の画像はWEB上から引用しました)

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  2. レストランetc
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  2. 2015/08/30(日) 20:57:54 |
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  4. トシ・オンクレ
貴重な情報ありがとうございました。

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Author:オンクレ・トシ
一般的に云う「グルメブログ」ではありません、店の点数評価等はしません。食の現場に集まる「人」を描きたいと思っています、もし読んで何か不快になる事があったとしたら、筆者の表現不足によるものでしょう。
出没地域は地元の東京足立・葛飾周辺、上野、秋葉原、たまに表参道、麻布十番等。
混雑電車が苦手なのと現在失業中によりランチ行脚がメインです。更新は週2回が目標。
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